COLUMN

2019-02-03 19:28:00

先日、NHKの「SWITCH インタビュー達人達」の番組で
ほぼ日手帳の糸井重里さんと芦田愛菜ちゃんの対談の回が放送されていました。
70歳の糸井さんと14歳の芦田愛菜ちゃん、年の差56歳という普通では成り立たないような年齢差対談。
これ、かなり面白かったです。

言葉の持つ力というか言葉の重要性というか、そういうモノを凄く感じましたね。
対談相手が芦田愛菜ちゃんということもあってか、凄くシンプルにそれを感じました。
糸井さんの実績とか凄さは皆さん理解していると思いますが、私自身この人の存在こそは知っていましたが、どういう人なのかは何も知らなかったんですよね。。。
衝撃でした。
この人、本当に言葉のプロだなぁと。

職業は「言葉」ですって言えちゃいそうなくらい。


番組を見終わってふと思いました。
現代は作詞・作曲・歌を全部アーティスト本人がやっている事が多く感じるんですが、
ちょっと昔は作詞家がいて、作曲家がいて、アーティストが歌う。っていうパターンがもっと多かったように思うんですよね。
歌う本人が全部やったほうが伝えたい想いもストーリーもスムーズに伝わるだろうし、若い人にしか表現できないワードセンスなんかもあると思う。
ただ、人生経験豊富で言葉を仕事にしているプロが紡いだ言葉を聞いているとなんだか沁みますよね。
プロの作詞者、プロの作曲家、プロのシンガー、そこから生まれる一つの作品、まさに名曲が現代にもっと生まれると良いな。なんて思ったりしたのでした。

真に伝えたいことをシンプルに伝えたり、逆にどういう感情で放たれた言葉なのかを考えたり、
普段何気なく扱っている言葉をもう少しだけ大切に扱おうかなと思いました。
言葉を思う儘に操れるようになりたいですね。


2018-07-10 17:31:00

ナポリのサルトにDeSoto Modelとして製作してもらった手縫いジャケット、
今回は既に完売しています。
また作るので買い逃した方は是非、次の機会に。

今日はナポリジャケットについて少し。
もともとはスミズーラといって英国で言う所のビスポーク、客と話しながら体を採寸し、そのたった一人のために好みの1着を仕上げる事を信仰としています。
今季DeSto Modelの製作を依頼したサルトも同様。
物心ついたころから針を手に、生き抜く術として技術を身に付けた生粋の職人たちが一針一針時間をかけて仕立てたモノ。

彼らが仕立てた服には手縫いがゆえの不完全さがあります。
マシンを用いて生産効率を高めた廉価版ナポリジャケットでは出せない味があるというか。
その不完全さは決して欠点ではなく、むしろ長所。
1着1着同じモノは仕上がらないし、
職人の上機嫌も不機嫌も全て含めて、
一人の人生の50時間〜60時間を背負っているという事。
そういう服からは何か得るものがありますよね。
大量生産された服は何も語らないけど、
サルトリアの洋服には心がある。
職人がエネルギーを込めるからそれが服に宿る。
そこが本質だと思います。そこがナポリジャケットの一番の魅力。
だからオーダーするサルトは別に有名だろうが無名だろうが関係ない。技術と心さえあれば。

DeSoto Modelのジャケットはお客様からすると既製服という事になりますが、
自分の立場から言わせてもらうと、
DeSotoの好みでDeSotoのためだけに全て手縫いで作られた紛れも無い本物のスミズーラジャケットです。
また良い生地探して作ってもらいますのでお楽しみに。

 


これも「高級」な世界ですね。



2018-06-15 19:20:00

最近、陶器を購入する機会が増えました。
年齢でしょうか?

個人的には「実用性のある芸術品」って感じ。
実際食卓でも使えるし、棚に並んでるだけでもインテリアですよね。
モノによっては経年変化まで望めたり、作家の各々の作風や思想を楽しんだり。
それがアリになるモノしか買わないようにしています。
最近はあらゆるモノに対してそういった芸術品としての見方に傾いてる気がします。

他にもジャン・プルーヴェやピエール・ジャンヌレ、シャルロット・ペリアンあたりのインテリアとか、今すごく興味があります。
陶器だったら、分かりやすい所で言うと、ルーシー・リーとか。
一線超えたところにいる人が人生を賭けて生み出したモノって、やはりアート的な面があるなぁと思います。

芸術品って表に見えない部分にPAYする+αの部分がありますよね。
作品を作った人のマインドだったりセンスだったり、人生そのものに惹かれたり。
そこを今すごく重要視しています。

クラシックな世界でいうとナポリの丸縫い(全て手縫い)で仕上げられたジャケットや、一足一足、木型からたった一人のために作られるビスポークシューズとか、割と同じポジションで見れるんです。まさに実用性のある芸術品という感じ。
もしその人が死んでしまったらコレ手に入らないんだなって思うモノというか。
そういったモノ同士って、ジャンルの垣根を超えて自然と調和する気がするんです。
ただ合うという感じではなくて、組み合わさった時に化学変化的な、高次元なセンスが生まれるというか。
こないだCLOTHINGの方で紹介したK18ゴールドリングなんかもそう。チェッキデロッシのバッグとかも。
多分どっちもジャンル的にDeSotoのメンズらしくないなって思った人いると思います。
だけど、ベタベタに当たり前な組み合わせも悪くはないんだけど、そこにはもう自分を高めてくれる新たな発見や刺激はありませんよね。
なんかそんな感じ。

ファッション=ウェア。だけじゃなくて、他分野からファッションに影響してくる感覚やセンスみたいなモノもあるんだなぁと思います。

それでは、今日はこの辺で。


2018-06-12 18:07:00

今日は、車について。
画像は自分が乗っている愛車「Mercedes Benz 190E」。
この車を初めて知ったのは、服業界の偉大な先輩がこの190Eに乗ってDeSotoを訪ねて来た時でした。
それまで、正直「ベンツ」には全く興味がなくって、好きじゃないというよりかは何も知らない無知な状態。
金持ちが乗るおきまりの車みたいなイメージしか持ってなかったんです。
だけど、その車を見た瞬間に「なんだこのセンスの良い車は!」と思いました。直感的に。
一瞬にして現代の車にはないプレシャスを感じました。
パッと見の分かりやすい華やかさや高級感みたいなものではなくて、控えめの中にある本物感というか。
厚い鉄板で形成された端正なボディーライン、金庫の扉みたいにズッシリと重量感のあるドア。
無駄の無いシンプルなグレートーンの内装に落ち着いた雰囲気のウッドパネル、時代を感じさせるチェックのファブリックシート。
もう全てがセンス良き。
それからというもの190Eが気になって気になって仕方なくなって、、、、、買いました。

この車をメルセデスが生み出した背景には世界を恐怖に陥れた第一次石油ショックが関係していて、
そうした背景の中でより良い車を作るべく試行錯誤して生み出した車なんだそう。
この車が80年代以降のメルセデスの土台となり多くのモデルへ反映されて行く事になるという、メルセデスの一時代を語る上で欠かせない特別な車なのです。
決して物作りをする上で有利な状況ではない時代に、
当時のメルセデスの社訓「最善か無か」という妥協なきモノ作りへの拘りを貫いた。
そして、その拘りが凝縮されたこの時代のメルセデスには現代の車が忘れてしまった何かが溢れまくっているというわけです。
妥協なき物作りは感動を生むって事ですね。何でも同じ。

直線的でデザイン性の高い美しいボディはイタリア人デザイナー「ブルーノ・サッコ」によるもの。
まさに乗っていると最善を尽くした完成度の高い車なんだと体感できます。デザイン性も実用性も。
乗れば乗るだけ好きになっていく車ですよ。
で、純正のTechnicsのカセットデッキでJAZZ流しながら安全運転。
気持ちの余裕でしょうか。割り込みも気にならない。
渋い内装とフロントガラス越しに見える景色もそりゃーもう、プレシャス。

何気ない日常も特別な時間に変えていく。そんな作業が大事なのかもしれません。
今も小指に光るStones Stone Zooの18Kリングをチラ見しながら、ジャズを流して、好きな作家の作ったコップでコーヒー飲みながらこの記事を書いています。
豊かな時間です。


一概に高級=高額ではないという事。
そして高級なモノを理解するには教育が必要という事。
そんな感じで今日は締めますか。

それでは、また。

 

2018-06-11 17:26:00

LEICA良いです。

にわかカメラ好きが言うのもなんですが、本当に良いです。
写真好きな人にもカメラ好きな人にも満足できるモノですよね。
コレは所有した人にしか理解できない満足感なのかも。
アンリ・カルティエ=ブレッソンやロバートフランク、ウィリアム・エグルストン、ソールライター、他にも多くの有名な写真家たちに愛用されてきた「Leica」。
その人たちはライカのファインダー越しにどういう想いを切り取ってきたんだろう。。。なんてカッコつけたりもできます。笑
まぁそれは冗談としても、Leicaには何か特別なモノを感じます。
物理的に一流の精密機械を手に入れられる喜びと、「Leica」を〈所有する〉という事の喜びがある訳です。
何気ない日常もライカのファインダーを通せばなんだか特別。
結局自己満の世界だと思うんです。
究極、他人がどういう風に思おうと自分が良い写真だと思えばそれは紛れもない良い写真だと思うし。
依頼されて写真を撮る仕事をしている人はまた話は変わってくると思うけど、アート的な考えで写真を撮るのであればそこはもう自己表現の世界。
そういうアート的なポジションで写真を考えている人たちにはLeicaを使用する意味が理解できるんじゃないでしょうか。
自分はカメラオタクではないし、初めはどちらかというとファッション的にライカに興味を持ったので、
レンズによっての描写とかボケとか、細かいところまではハッキリ言って理解していません。
絞りやシャッター速度、ISO感度、なんですかそれ。。。
っていうのはウソだけど、そういうのは一番重要な事ではないのかも。


先日、ソールライターのドキュメンタリー映画を見て、最後の最後に「美の追求」って言葉を言っていたんです。
この「美の追求」っていう言葉、深いですね。
好きなフォトグラファーの一人「ビル・カニンガム」、今は亡くなってしまいましたが、この人も自分のドキュメンタリー映画の中で同じ言葉を言っていました。
「美を追い求めるモノは、必ずや美を見出す」と。
ここでいう美というのはいろんな事柄への美を指していると感じます。
本当に深い言葉なので、ここで文章に表現するのはナンセンス。
映画見てください。
脱線しましたが、
結局Leicaを推すのは、Leicaを使う事でしか得られない感性があるという事。
ただプライスが高いだけの精密機械ではないという事です。

自分が所有しているのはLeica M240というデジタルのM型機種に1950年代製造ズミクロンの初期型を装着。
単純にモノとしてカッコ良い。
ボディーは真鍮製でその上からブラックペイントを施してあるので、永く使うとペイントが剥げて真鍮の地金が見えてくる。
真鍮なんで今のデジカメみたいに軽っかるじゃなくて鉄の塊みたく重い。
とにかく存在感がビューティフォー。

いろんな分野で、妥協のない美しいものに触れていきたい。
そして美しいものを美しいと理解できるよう自分を教育していきたいものです。


それでは、また。

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