COLUMN

2018-06-15 19:20:00

最近、陶器を購入する機会が増えましたね。
年齢でしょうか?

「実用性のある芸術品」って感じですかね。
実際食卓でも使えるし、棚に並んでるだけでもインテリアでしょう?
モノによっては経年変化まで望めたり、作家の各々の作風や思想を楽しんだり。
まぁ、それがアリになるモノしか買わないんだけど。
最近はあらゆるモノに対してそういったアートピースとしての見方に傾いてる気がしますね。自分自身。

他にもジャン・プルーヴェやピエール・ジャンヌレ、シャルロット・ペリアンあたりのインテリアとかね、今すごく興味があります。
陶器で言えばルーシー・リーとかね。分かりやすく言うと。
一線超えたところにいる人が人生を賭けて生み出したモノって、どこかアート的な面があるなーと。

芸術品って表に見えない部分にPAYする+αの部分がありますよね。
作品を作った人のマインドなりセンスなり。人生そのものに惹かれたり。
そこを今すごく重要視してる気がするんです。モノを提案する側として。

クラシックな世界でいうとナポリの丸縫い(全て手縫い)で仕上げられたジャケットとか、一足一足、木型からたった一人のために作られるビスポークシューズとか、割と同じポジションで見れるんです。まさに実用性のある芸術品ってわけ。
もしその人が死んじゃったらコレ手に入らないんだなーって思うモノっていうのかな?
そういったモノ同士って、ジャンルの垣根を超えて自然と調和するんですよ。
ただ合うって訳じゃなくて、なーんか組み合わさった時に化学変化的な、高次元なセンスが生まれるというか。
こないだCLOTHINGの方で紹介したK18ゴールドリングなんかもそう。チェッキデロッシのバッグとかも。
多分どっちもDeSotoのメンズらしくないなって思った人いると思う。でも狙ってんの。
ベタベタに当たり前な組み合わせも悪くはないんだけど、
もうそこに自分を高めてくれる新たな発見や刺激はないでしょう?

なんかそういう感じ。笑

ファッション=ウェア。ってだけじゃなくて、他分野からファッションに影響してくる感覚みたいなモノもあるねって思います。

今日はこの辺で。


2018-06-12 18:07:00

今日は、車について。
画像は自分が乗っている愛車「Mercedes Benz 190E」。
この車を初めて知ったのは、服業界の偉大な先輩がこの190Eに乗ってDeSotoを訪ねて来た時だった。
それまで、正直「ベンツ」には興味がなくって、好きじゃないというよりかは何も知らない無知な状態。
金持ちが乗るおきまりの車みたいなイメージしか持ってなかったんです。
だけど、その車を見た瞬間に「なんだこのセンスの良い車は!」と思いました。直感的に。
一瞬にして現代の車にはないプレシャスを感じましたね。
パッと見の分かりやすい華やかさや高級感みたいなものではなくって、控えめの中にある本物感というか。
厚い鉄板で形成された端正なボディーライン、金庫の扉みたいにズッシリと重量感のあるドア。
無駄の無いシンプルなグレートーンの内装に落ち着いた雰囲気のウッドパネル、時代を感じさせるチェックのファブリックシート。
もう全てがセンス良き。ファンタスティコ。
それからというもの190Eが気になって気になって仕方なくなって、、、で、買いましたね。笑

この車をメルセデスが生み出した背景には世界を恐怖に陥れた第一次石油ショックが関係していて、
そうした背景の中でより良い車を作るべく試行錯誤して生み出した車。
この車が80年代以降のメルセデスの土台となり多くのモデルへ反映されて行く事になるという、メルセデスの一時代を語る上で欠かせない特別な車なんです。
決して物作りをする上で有利な状況ではない時代に、
当時のメルセデスの社訓「最善か無か」という妥協なきモノ作りへの拘りを貫いた。
そして、その拘りが凝縮されたこの時代のメルセデスには現代の車が忘れてしまった何かが溢れまくってるってわけ。
妥協なき物作りは感動を生むって事ね、何でも同じ。

直線的でデザイン性の高い美しいボディはイタリア人デザイナー「ブルーノ・サッコ」によるもの。
まさに乗っていると最善を尽くした完成度の高い車なんだと体感できる。デザイン性も実用性も。
乗れば乗るだけ好きになっていく車ですよ。本当に。
で、純正のTechnicsのカセットデッキでJAZZ流しながら安全運転。笑
気持ちの余裕でしょうかね。割り込みも気にならない。
渋い内装とフロントガラス越しに見える景色もそりゃーもう、プレシャス。

何気ない日常も特別な時間に変えていく。そんな作業が大事なのかもね。
今も小指に光るStones Stoneの18Kリングをチラ見しながら、ジャズを流して、好きな作家の作ったコップでコーヒー飲みながらこの記事を書いてる。
最高。


一概に高級=高額ではないって事。
そして高級なモノを理解するには教育が必要って事。
そんな感じで今日は締めますか。

それでは、また

 

2018-06-11 17:26:00

LEICA良いですよ。

自分みたいな、にわかカメラ好きが言うのもなんですが、本当に良いです。
写真好きな人もカメラ好きな人も満足できるモノじゃないですか。
コレは所有した人にしか理解できない満足感なのかな。
アンリ・カルティエ=ブレッソンやロバートフランク、ウィリアム・エグルストン、ソールライター、他にも多くの有名なフォトグラファーたちに愛用されてきた「Leica」。
その人たちはライカのファインダー越しにどういう想いを切り取ってきたんだろう。。。なんてカッコつけたりもできます。笑
まぁそれは冗談としても、Leicaには何か特別なモノを感じますね。
物理的に一流の精密機械を手に入れられる喜びと、「Leica」を所有する喜びがある訳です。
何気ない日常もライカのファインダーを通せばなんだか特別。
結局自己満の世界だと思うんですよ。
人がどういう風に思おうと自分が良い写真だと思えばそれは良い写真。
依頼されて写真を撮る仕事をしている人はまた別だろうけど、アート的な考えで写真を撮るのであればそこはもう自己表現の世界。
そういうアート的な立ち位置で写真を考えている人たちにはLeicaを使用する意味が理解できるんじゃないかな。
自分はカメラオタクではないし、どちらかというとファッション的にこの世界に入ったので、
レンズによっての描写とかボケとか、そんなのはハッキリ言って理解してません。
絞りやシャッター速度、ISO感度、なんですかそれ。。。
ってのはウソだけど、そういうのは一番重要な事ではないのかも。
先日、ソールライターのドキュメンタリー映画を見て、最後の最後に「美の追求」って言葉を言っていたんです。
この「美の追求」っていう言葉、深いです。
好きなフォトグラファーの一人「ビル・カニンガム」、今は亡くなっちゃいましたけど、この人も自分のドキュメンタリー映画の中で同じ言葉を言ってました。
「美を追い求めるモノは、必ずや美を見出す」と。
ここでいう美というのはいろんな事柄への美を指していると感じましたね。私は。
本当に深い言葉だから、ここで文章に表現するのはナンセンス。
映画見てください。
脱線しました。
で、結局Leicaを推すのは、Leicaを使う事でしか得られない感性があるという事。
ただプライスが高いだけの精密機械ではないという事ですかね。

自分が所有しているのはLeica M240というデジタルのM型機種に1950年代のオールドレンズを装着。
単純にカメラとしてカッコ良いですよね。
ボディーは真鍮製でその上からブラックペイントを施してあるので、永く使うと真鍮の地金が見えてくる。
ビューティフォー。真鍮なんで今のデジカメみたいにかるっかるじゃなくて鉄の塊みたく重い。
とにかく存在感がビューティフォー。笑

いろんな分野で、妥協のない美しいものに触れていきたい。
そして美しいものを美しいと理解できるよう自分を教育していきたいものです。


それでは、また。

2018-06-10 13:41:00

コラムをスタートします。
洋服はもちろん、それ以外の分野で気になるモノや事について色々書いていこうかなと。

最近よくCLOTHINGの方で書いてますが、「感覚的部分」がすごく重要になってくると感じてます。
モノではなくてセンスの部分。
でもそのセンスっていうのは結局モノから得られる事が多いのかな。
普段の生活で触れるありとあらゆるモノから。もちろん人からも。
洋服、時計、ジュエリー、バッグ、靴、眼鏡、器、食器、家具、車、カメラ、絵画、映画、音楽、それらを作っている人の考えや人生、、、
全てがリンクしていて「ファッション」の深さを思い知るわけです。
一流のシャツを着れば誰しもがカッコよくなれるわけじゃないでしょ。
一流のシャツが似合う人になってこそカッコいいわけだから。

そんなこんなでいろんなジャンルで私個人が素晴らしいと思うものを情報として書いていきたいと思います。
なーんにもする事がない暇な時間にでも読んで下さい。


ちなみに今日の画像は、カナダのイラストレーター「Benjamin T. Stone」に自分を描いて貰ったモノ。
それこそ、この人のセンスに惹かれてお願いしましたね。
独自のタッチや歪ませ方、ファッションを描く事に長けてます。
@benjamintstone のアカウントでインスタグラムがあるのでチェックして見てください。


それでは、Columnお楽しみに。

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